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なぜ新聞は「権力者の代弁」ばかりを繰り返すのか?

"私が12年間、日本で取材活動をする中で感じたことは、権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚をもっているということだ。
似たような価値観を共有していると言ってもいい。国民よりも官僚側に立ちながら、「この国をよい方向に導いている」という気持ちがどこかにあるのではないか。やや厳しい言い方をするならば、記者たちには「官尊民卑」の思想が心の奥深くに根を張っているように思えてならない。
読者(庶民)の側に立たず、当局(エスタブリッシュメント)の側に立って読者を見くびる。記者クラブという連合体を結成し、官僚機構の一部に組み込まれる形でプレスリリースやリーク情報を報じる姿勢がそれを裏付けている気がしてならない。
日本の新聞記者は、あまりにもエリート意識が強すぎるのではないだろうか。彼らは政治家に対してはわりと批判的なのに、行政のバッシングはできるだけ避けようとする。今でも官僚批判は雑誌メディアやネットメディアの独壇場だ。政治家の記事は書き放題なのに、官僚バッシングをやりたがらないのだ。それはやはり、官僚が貴重な情報源であると同時に、どこかで同志意識のようなものがあるからだろう。
日本の大手新聞は、官僚機構が最も嫌がるニュースを率先して報道しようとしない。ある新聞だけに特ダネを握られたら困るから、記者クラブのみんなで話し合って特定の新聞だけが違う方向へ向かわないようにする。
自分だけ情報をもらえなくなっては困るから、官僚機構とのケンカを避け、同じインナーサークルの中で手を取り合う。記者クラブ側がなぜ日本で問題視されないのか不思議だ。"


"2011年3月11日、日本は東日本大震災と福島第一原発の事故によって「第二の敗戦を」を迎えた。
1945年8月15日の「第一の敗戦」では、GHQが日本に民主主義を与えた。日本人自身が、自分たちの力で民主主義を獲得したわけではない。
日本とは対照的に、韓国や台湾は自分たちの手で民主主義を作り上げた経験がある。軍事政権と戦った記憶があるから、民主主義の大切さや価値を皮膚感覚でわかっている。
アメリカにもフランスにも同様の歴史がある。こうした国では市民社会が今でも強く、メディアによる権力チェックも厳しい。民主主義が脅かされる事態が到来すれば、市民もメディアも一丸となって立ち上がる。
こうした見えない意識が、実はその国を形作っている。市民の手による革命が起きたことがないから、日本の有権者はどこか受け身だ。国に、お上に任せていれば、平和な世の中が築かれると人々は信じている。
記者クラブメディアが長らく存在していたのは、国民がそれを無意識のうちに認めていたからだとも言える。
だが、日本人は戦後の体制のあり方を見直す時期にきた。"


"高度成長期のような状況はもはや望めないことは誰もが分かっている。今求められているのは、新たな産業やアイデアを生み出す力だ。だが、この国には既得権益を手放さず、若者やチャレンジャーをつぶそうとする層が存在する。新聞で言えば、記者クラブがそれにあたるだろう。
3.11で日本が抱える様々な問題がむき出しになった。より良い社会を作っていく上で、ジャーナリズムが果たす役割はとてつもなく大きい。ジャーナリズムが置き去りにされてきた日本で、それを求める声がかつてないほど高まっている。新聞が、新聞本来の役割と力を発揮するために、このチャンスを逃してはならない。"


-「本当のこと」を伝えない日本の新聞/マーティン.ファクラー

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